浜口ミホ(キッチン革命)の生い立ちや家族は?夫や子供についても

みなさんは自分の家の台所をどんな場所だと考えていますか?
私は台所は家の手伝いや家族とのちょっとした会話などを通して、家族内でのコミュニケーションをとれる場所という良いイメージがあります。

今でこそ良いイメージのある台所ですが、昔はいつも暗くて寒い場所という悪いイメージだったといいます。
そんな台所のイメージをガラッと変えた女性、浜口ミホさんを今回は紹介しようと思います。浜口ミホさんの生い立ちや家族、夫や子供はいるのかについてもみていきましょう。

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浜口ミホの生い立ち

浜口ミホさんは、日本の建築家であり、女性としては珍しい建築の分野で活躍されていました。浜口さんは1915年に中国の大連で生まれ育ちます。ご両親が中国の方だったのかどうかはわかりませんでした。

お名前がミホさん、ということから、ご両親は日本の方だったのかな?と推察されます。

1937年に東京女子高等師範学校を卒業し、東京帝国大学工学部建築学科で学び、前川國男建築設計事務所で建築を学びました。

1941年に結婚し、北海道で農村建築の研究をした後、1948年に浜口美穂住宅相談所を設立しました。

1954年には、女性で初めての一級建築士の資格を取得し、桑沢デザイン研究所で生活空間講師として働き、相模女子大学や戸板女子短期大学で住居学講師としても教えました。1959年には、浜口ハウジング設計事務所と名前を変え、お茶ノ水女子大学の講師としても働きました。

その後、戦後の住宅改善に貢献するために美穂浜口建築研究所を設立し、台所を機能的で明るい場所に引き上げることで知られる思想を広め、日本住宅公団の台所に採用されるなど、住宅設計における重要な役割を果たしました。

浜口さんは女性ではじめての一級建築士の資格を得て第一線で活躍されていたとのこと。いまでこそ女性が社会の活躍するのはめずらしくありませんが、当時はめずらしかったのではと推察されます。

浜口ミホさんの夫や子供について

浜口ミホさんは、結婚していて、夫は建築評論家の浜口隆一さんです。

ご主人である浜口隆一さんとの出会いは、就職先であった前川國男建築設計事務所でした。

浜口隆一さんについてここでふれたいと思います。

浜口隆一さんは、日本最初の建築評論家として有名な方でした。

浜口隆一さんは、浜口ミホさんと知り合った頃は、前川國男建築設計事務所に勤務されていましたが、その後1948年東京大学助教授となられて、その後に評論家になられます。

1966年から1977年まで日本大学理工学部建築学科教授も務めておられました。

非常に優秀な方であったのですね。夫婦共に建築関係の第一線で活躍されていて、素晴らしいことですね。

浜口隆一さんの顔写真などを調べてみましたが、不明でした。もしかすると勤務されていた東京大学などには保管されているのではないでしょうか?どんな方だったのかみてみたいですよね。

夫婦で同じ建築関係者であるため、建築に関する話題で家庭内で盛り上がっていたのかなと思うと微笑ましいですね。
また、浜口ミホさんには、お子さんがいらっしゃるかどうかは不明でした。

もしお子さんがいらっしゃったら、浜口さんの会社を継がれているかと思いますので、個人的にはお子さんはいらっしゃらなかったのかな?と思っています。こちら引き続き調査していきたいと思います。

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システムキッチンについて

※画像はイメージです

彼女は、女性がキッチンでの家事をより快適に行うことができるように、機能的で使いやすいシステムキッチンを提案しました。キッチンは、料理をするだけでなく、家族が集まる場所でもあるため、浜口ミホさんは、キッチンに家族が心地よく過ごすことができるような設計を心がけています。

いまでこそ、居間は明るく南側につくられることが当たり前のような感じですが、浜口さんが提唱し、自ら実践。寝室とダイニングをわける、居間を明るく南向きに。といった家族によりそう住まいをつくられた先駆けの人物なのです。

そのため浜口さんはダイニングキッチンの生みの親といわれているのです。

彼女の設計によって、女性たちが今快適な暮らしを送ることができるようになっているのはとても素敵なアイデアだなと思いました。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
今回は浜口ミホさんについての情報をご紹介しました。

私たちが普段何気なく使っている台所ですが、このような作り手の思いがこもっているなんてなんだか感慨深いものがあるなあと感じました。

浜口ミホさんを題材にしたドラマ、キッチン革命も楽しみですね。
ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか?

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