こんにちは。
今日は、G-SHOCK(ジーショック)の開発者である、伊部菊雄(いべ きくお)さんを取りあげたいと思います。
2020年5月21日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」にて実は日本生まれの世界的大ヒット製品!すべての始まりは締切に追われた社員が書いた、たった1行の企画書だった。世界を驚かせたアンビリバボーなアイデアとは?と題して紹介されます。
この記事では、伊部菊雄さんのプロフィールとたった一行の企画書と成功した理由について調査をしていきたいと思います。
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伊部菊雄のプロフィールは?
生年月日:1952年(68歳)
学歴:上智大学理工学部機械工学科 卒業
職業:カシオ計算機株式会社 時計事業部 所属
伊部菊雄の企画書の内容とは?
出典:https://dime.jp/genre/447486/2/
伊部さんが、出した驚くべき企画書とはどういったものだったのでしょうか。
伊部さんは当時、腕時計の設計を担当されていたのですが、毎月「新技術・新商品提案」を提出しなければならなかったそうです。
出典:https://newswitch.jp/p/20017
企画書に一言だけ、「落としても壊れない丈夫な時計」とだけ書いて、他は何も書かずスケジュールや設計なども空白で提出。しかしそれが採用となってしまいます。
落としても壊れない時計は世の中にはない製品だということで、企画が無事に通りその後、改めて、きっちりとした企画書も提出。
伊部さんは、ジーショックの開発に着手するようになったのでした。
企画書がなぜ一行だけだったのか?
伊部さんは、落としても壊れない時計という言葉は強く残っていたため、企画書にその一行だけを書く結果となっています。
それにはエピソードがありました。
高校の入学のお祝いにお父さんに腕時計を買ってもらった伊部さん。
社会人になっても大切に使っていたそうです。
しかし会社で人にぶつかって時計が腕からはずれてしまい、床に落ちてバラバラになってしまったのです。
その様子を見て「時計は落とすと壊れる」という当たり前のことを実際に体験し感動したそうです。その感動を1行の企画書に思いとなって書くことに至り企画書として提出したのでした。
伊部さんにとって、当たり前の時計は壊れるということを実体験したことで、製品にしようというインスピレーションが生まれたことがきっかけとなっていたのですね!
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成功した理由は何?
壊れない時計を作るために、毎日実験をした伊部さん。
実験室でサンプルを作っては、会社の三階から一階に落として実験を繰り返します。
200回から300回もの実験を繰り返しますが、壊れないようにするには、ゴムボールのような厚みになってしまうのです。このままでは商品化ができないと思い悩み辞職することも頭をよぎります。
ある日仕事場近くの公園のベンチに座っていた時に女の子がボールをついているのを見て伊部さんはひらめくのです。
ボールの中に時計の大事なエンジン部分が浮いて見えたという伊部さん。
時計の小さな空間の中に浮いたに近いような状態を作り、点で支える構造を
思いついたのでした。
ジーショックは日本では発売当初、売れない時期があったのですが、アメリカでアイスホッケーのパック代わりにG‐SHOCKをスティックで打つというCMが注目されたことにより、逆輸入の形で日本でも大ブームがおこります。
決してあきらめずに、考えて考えぬいた伊部さん。
ふとしたことで、ひらめきにかわって無事に商品開発に至ったのでした。
おわりに
今回は、伊部菊雄はG-SHOCK(ジーショック)開発!でプロフィールや企画書と成功の理由は?と題して記載いたいました。
今や壊れない時計といえば、イコール、G-SHOCK(ジーショック)といわれるくらい定着していますね。こういった開発のエピソードがあったことに大変驚きました。
「奇跡体験アンビリバボー」の放送でも開発の時のエピソードが放送されます。
放送が今から楽しみですね!
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。