こんにちは。
今日は女優の宮城まり子さんをとりあげたいと思います。
宮城まり子さんは、ご病気により、都内の病院でお亡くなりになられたとの報道がありました。宮城まり子さんとはどういう女優さんだったのか気になりますね。
宮城まり子さんは結婚して家族(夫・子供)はいるのか?
亡くなられた死因と、代表作について調べていきたいと思います。
スポンサーリンク
宮城まり子の死因について
【訃報】俳優・宮城まり子さんが死去 93歳、ねむの木学園設立https://t.co/yCx4YJ9WHP
肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を設立し、長年にわたり園長を務めた俳優の宮城まり子(本名本目真理子)さんが21日、死去しました。93歳でした。 pic.twitter.com/3MFGAC96o7
— 朝日新聞東京編集局コブク郎 (@asahi_tokyo) March 22, 2020
宮城まり子さんの死因についてですが、悪性リンパ腫が原因ということです。
悪性リンパ腫とは血液のがんで、細菌やウイルスなど病原体を排除するなどの機能をつかさどる免疫システムの一部であるリンパ系組織とリンパ外臓器(節外臓器)から発生するものです。リンパ系組織は、リンパ節、胸腺や脾臓、扁桃腺などの組織・臓器と、リンパ節をつなぐリンパ管やリンパ液からなります。
リンパ系組織は全身にあるため、悪性リンパ腫も全身すべての部位で発生する可能性があります。リンパ外臓器(節外臓器)は、胃、腸管、甲状腺、骨髄、肺、肝臓、皮膚などです
引用:https://www.ganchiryo.com/type/index17.php
悪性リンパ腫というのは、血液のガン、ということなのですね。
宮城まり子さんは、3月21日に、93歳のご年齢でお亡くなりになられました。
93歳というご年齢で病気と闘っておられたのは、とてもお身体もしんどかっただろうと思われます。
宮城まり子は結婚している?
宮城まり子さんは結婚されていなくて、お子さんもいらっしゃいません。
しかし、パートナーの男性はいらっしゃったようです。
▼吉行 淳之介さん
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%A1%8C%E6%B7%B3%E4%B9%8B%E4%BB%8B
その方は、作家の吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ)さんという方で、吉行さんが亡くなられるまで、パートナーとして同居してました。
(吉行さんは、1994年に70歳でお亡くなりになられています。)
しかし吉行さんは、ご結婚されていて、宮城さんはいわゆる、二号さんということになるのです!吉行さんが結婚してから10年後に宮城まり子さんと知り合って、それ以来亡くなられるまで、40年間も同居してパートナーとして暮らしていたようです!
吉行さんには、奥さんとの間に女の子のお子さんもいました。奥さんは、絶対に離婚に応じなかったそうです。吉行さんは、宮城さん以外にも複数の愛人がいたようなので、とても女遊びの激しい方だったのでしょう。
生涯離婚しなかった奥様も、全てを受け入れて同居しパートナーとして暮らしていた宮城さんも、すごく精神的に強い女性ですよね。
現代だったら、マスコミや世論にたたかれてしまうと思いますが、当時ではありえたことだったのでしょうか。三角関係以上に複雑な関係だったことがわかりました・・・。
スポンサーリンク
宮城まり子のプロフィール
名前:宮城 まりこ(みやぎ まりこ)
本名:本目 眞理子(ほんめ まりこ)
生年月日:1927年3月21日
没年月日:2020年3月21日(93歳没)
出身地:東京都
経歴について
宮城さんは、現在の東京都大田区に生まれます。
家族は両親と弟の4人家族でしたが、小学校5年生の時にお母さんが病死してしまったのでした。
そしてお父さんの事業が失敗してしまったため、なんと小学校卒業と同時に弟と共に吉本興業に入り歌謡曲を歌うようになったそうです。
とても苦労されていた生い立ちだったのですね。
戦後は日劇の舞台で主役を務めるなど経験を積み、1950年には歌手として「なやましブギ」でデビューします。
その後もヒット曲を数々連発し、NHK紅白歌合戦には計8回も出演されました。
テレビ番組や、映画にも女優として活躍され多くの作品に出演。
1958年「12月のあいつ」にて芸術祭賞を受賞し、翌年の1959年には「まり子自叙伝」にテアトリン賞を受賞されたのでした。
ねむの木学園とは?
出典:https://job-medley.com/ls/417149/
宮城まり子さんは、ご自身の私財を投資して、1968年に体が不自由な子供のための養護施設「ねむの木学園」を設立されました。
設立理由は、脳性まひの子供の役を演じたことから、障害児教育への関心をもったことによるものでした。
住所:静岡県掛川市上垂木2979-1
宮城さんは、こちらの学園をゼロから作りあげられました。
土地や教職員さがし、資金調達に至るまで、自ら奔走し開園にこぎつけることができたそうです。
宮城さんは「障害をもつ子供に学びの場を与えたい」という思いの一心で開園から現在まで運営してこられていました。
記念式典や運動会の内容や演出は全て宮城さんがプロデュースしてきました。
小学校を卒業されてから、芸能界で活躍されてきた宮城さんだからこそ、プロデュース能力もとても素晴らしいのだと思います。
子供たちの日頃の学びの成果やそれぞれの才能を発揮できるよう、工夫しながら、演出を考えていらっしゃるのだそうです。
本当に子供たちのことを一番に考えながら学園を運営されていることがうかがえますね。
宮城さんがお亡くなりになられてからも、きっと宮城まり子さんイズムは受け継がれていくと思います!
スポンサーリンク
代表作について
宮城まり子さんの代表作について調べてみました。
たくさんの作品をおもちの宮城さんですが、下記の曲がとても人気だったようです。
▼主な代表作(歌)
『毒消しゃいらんかね』
『ガード下の靴みがき』
『納豆うりの唄』
『てんてん娘』
『夕刊小僧』
動画にもありますが、歌声がとても素敵ですっと聞いていたくなりますよね。
現代もそうですが、昭和時代の紅白歌合戦に出場されるということは、歌手にとっては本当にステイタスであったと思います。
紅白歌合戦に8回も出場されていることから、とても人気の歌手であったことがわかりますね
おわりに
今回は、[宮城まり子]の死因と結婚して家族(夫・子供)はいる?代表作についても調査!
と題して記載いたしました。
宮城まり子さんのように、自分が思い立ったらすぐに行動に移す、ということは頭ではわかっていても中々できるものではありません。
しかし本当に実行されて、華やかな芸能界から退き、障害をもつ子供のために学校を設立された宮城さんはとても素晴らしいと感じました。
ご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただいきありがとうございました。