こんにちは。
パラリンピックの父と呼ばれた医師、中村裕(なかむら ゆたか)さん。
1964年の東京パラリンピック開催の為尽力された医師ということで、2020年10月15日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」で紹介されます。
中村裕さんはどういった方なのでしょうか?
この記事では、中村裕医師(パラリンピックの父)の妻子供の現在と勤務する病院は?プロフィールや経歴も!と題して記載していきたいと思います。
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中村裕の家族(妻・子供)はいる?
出典:https://tokyo2020.org/ja/paralympics/news/news-20200621-01-ja
中村裕さんはご結婚されており、奥様とお子さんがいらっしゃいました。
中村裕さんの妻は中村廣子(なかむらひろこ)さんといいます。
お子さんをだっこされている方ですね。
▼中村廣子さん
中村廣子さんは現在もご存命で81歳でいらっしゃいます。
3人の子育てをしながら、夫である裕さんをずっと支えてこられたのです。
中村裕さんがパラリンピック開催にむけて周囲に反対されたりした時も、笑顔でいつも包み込んでおられたのだといいます。妻の鏡のような女性ですね!
中村裕さんには3人お子さんがいらっしゃったようです。
出典:https://tokyo2020.org/ja/paralympics/news/news-20200621-01-ja
そのお子さんの中で長男の中村太郎さんがお父さんの後を継いで医師として活躍されています。お写真は、長男の中村太郎さんです。
中村太郎さんは現在、整形外科医として勤務されていらっしゃいます。
太郎さんが中学生になった頃から、お父さんである裕さんは、医学部に入るために勉強をするように太郎さんに言うようになったようです。
太郎さんはお父さんの後を継ぐつもりはなかったものの、怖いお父さんだったので有無をいわさず勉強しなくてはならなくなって、同じ道を歩まれることになったのです。
中村裕の子供の勤務先病院はどこ?
中村裕さんのお子さんである長男の中村太郎さんは、現在整形外科医として働かれていると先ほどお伝えしましたが、どこの病院に勤務されているのか気になったので調べてみました。
中村太郎さんは勤務されている病院は、お父さんである裕さんが開業された大分中村病院で働かれています。
中村太郎さんは、この病院の理事長をされていらっしゃいます。
理事長ですが、外来でも診察をされているようです。
太郎さんは、パラリンピック日本代表選手団のチームドクターとして、シドニー2000、アテネ2004に参加されました。
障害者のスポーツはリハビリ的なものだという認識があったそうなのですが、シドニーとアテネに参加したことで選手たちの練習や試合の姿を間近で見て、今までのご自身の考えが変わったといいます。
太郎さんは医師として、プロの選手を支え、いかに健康に、安全にプレーを続けられるかということを意識してかかわってこられているのです。
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中村裕のプロフィールと経歴
出典:https://mainichi.jp/articles/20200728/kei/00s/00s/001000c
中村裕さんのプロフィールと経歴についてみていきたいと思います。
名前:中村 裕(なかむら ゆたか)
生年月日:1927年3月30日(57歳没)
出身地:大分県別府市
最終学歴:九州大学医学部
受賞歴:吉川英治文化賞
中村さんは九州大学医学部を卒業後に、九州大学病院整形外科医に勤務されます。
1960年にリハビリの研究のために、イギリスに留学するのですが、そこで障害のある方たちがスポーツに励む姿を目にします。
体に障害のある人たちにスポーツは重要な役割があると感じた中村さんは、日本でのパラリンピックの開催にむけて尽力をつくすようになるのです。
1964年に東京パラリンピックの開催を果たすのですが、海外の選手が仕事と競技を両立されている状況を知って、日本の選手も働く場所が必要であることを実感。
そこで中村さんは、障害者が地域の一員として働きながら生活する施設「太陽の家」を設立されます。
PMTパームブレーキバー。大分県にある福祉財団法人”太陽の家”に訪問しました。この法人は企業と共同で障がい者の職場環境を創る機関です。パームブレーキバーの機能性を評価して頂きました。#太陽の家 #太陽 #福祉 #障害 #資料館 #歴史 #車いす #車椅子 #スポーツ #大分 pic.twitter.com/Gmi5K5WIah
— Palm Brake Bar / PMT (@pmt_tokyo) December 6, 2017
入所者にはスポーツを強く勧めたそうです。
1966年 大分県別府市に大分中村病院を設立。
1984年に肝不全のために57歳で亡くなられるのですが、長男の太郎さんが太陽の家と大分中村病院の経営の後を継がれて、現在も尽力されていらっしゃるのです。
中村さんは、留学先のイギリスで当時障害者スポーツの先進国であったイギリスで、障害のある方がリハビリのためにスポーツに取り組む姿をみて感銘を受けられたのですね。
その想いが、日本でもパラリンピックを開催したいというきっかけになったのでしょうね。
中々実現するにあたっては、大変だったと思いますが、実現してしまったことが素晴らしいですよね。
そして1981年には世界発となる車椅子の単独マラソン「大分国際車大分国際車椅子マラソン」の開催も実現されていらっしゃいます。
まとめ
今回は、中村裕医師(パラリンピックの父)の妻子供の現在と勤務する病院は?プロフィールや経歴も!と題して記載をいたしました。
●中村裕さんはご結婚されていて、奥さんと子供が3人いた
●奥様の廣子さんは現在のご存命で81歳になられている
●長男の中村太郎さんが病院経営と太陽の家の経営を継いでいる
●中村太郎さんは大分中村病院の理事長をされている
ということがわかりました。
今では当たり前のように開催されているパラリンピックですが、中村さんの働きかけによって開催されることが決まったのですね。
ご自身の人生をかけて、障害者スポーツの貢献に尽力されてきた中村さん。
まさに日本のパラリンピックの父という名称にふさわしいお方です!
奇跡体験!アンビリバボで、中村裕さんのエピソードが紹介されます。
放送を今から楽しみに待ちたいと思います。